失敗から学ぶ転職のコツ

12回の転職を繰り返したが成功は1回だけ

これは筆者の職歴の記録でもあり、失敗の記録でもあります。

 

多くの人は、40歳前後に迷いの時期がきます。

 

私もそうでした。

 

40歳前にして先が見えてきて、これで良いのかと自問自答する年代でもあります。

 

恥ずかしい話ですが、中学卒業から働き始めて12回ほど転職を経験しました。

 

しかしそのほとんどが失敗で、成功と呼べる転職は19歳の時に入った鉄鋼会社だけだと思います。

 

そこには20年勤める事が出来ました。

 

職場の雰囲気も好きでしたし、仕事にも愛着を感じていました。

 

何故、そんな職場を辞める事になったのかはここに書いてあります。

 

でも今振り返るとただの現実逃避でしかありませんでした。

 

会社の看板があってこその自分であり、辞めればただの人です。

 

その時の自分の仕事に対するスキルは、会社という後ろ盾があってこそで実際の自分の能力なんて

 

たかが知れている・・・でもその時は分かりませんでした。

一部の転職先での思い出と簡略して書いてみます。

中学卒業後、電気会社へ就職

 

45年も前の事で、記憶が曖昧でごめんなさい。

 

たしか松下電器の下請けで新音電気(こんな名前でした)という会社で、トランスなどを主力で作っていた会社でした。

 

ここには半年ほど在籍しました。

 

短い期間でしたが、初めての社会でいろんな事を教わった会社でした。

 

初月給が1万5千円ぐらいだったと思います。

 

せめて高校ぐらいは卒業していないと社会では相手にされない事を思い知った半年間でしたね。

 

途中から夜間高校に通いだしたけど、眠くて続きませんでした。

 

高校卒業して染色問屋へ就職

 

高校にはいるまでの経緯はこちらに書いてあります。

 

上六(上本町六丁目)大阪の人は愛着を込めてこう呼びます。

 

その上六にある染料を扱う専門商社に就職しました。

 

今の自分なら性格に合わない職種は選ばないと思いますが、その時は何も考えずに営業職を選んでしまったのが大きな失敗でした。

 

酒も飲めない体質で、毎日接待のお供に北新地に連れだされていました。

 

「俺の酒が飲めないのか?」こういう得意先がいるので仕方なく飲めるフリをして飲んでいたら、半年後に倒れました。

 

病名は急性膵臓炎という病気で、考えた末退社してしばらく静養していました。

 

鉄鋼会社へ再就職

高校の恩師から、大手の鉄鋼会社の研究所から求人がきているので受けてみないかとお誘いがありました。

 

とくに断る理由は無かったので、筆記試験を受け、合格し、面接試験を受け無事採用となり、新しいスタートを切ったのです。

 

昔の言葉で、ここは3K(きつい、汚い、危険)そのまま当てはまる職場でした。

 

でも営業の仕事がホント嫌で仕方無かった僕は、ここの仕事と職場が好きになり、20年勤める事になります。

 

これが最初の躓き 長野への転職

何故、慣れ親しんだ職場を去る決心をつけたのかは、ここここに書いてあります。

 

その時、僕は小学生の子供が二人いました。

 

普通の感覚では、余程のことがなければ転職なんて考えないと思います。

 

今の自分だったら、その時に戻って”バカなマネは止めろ!”・・と引き止めると思います。

 

でもその時には、視野が狭くなっていて田舎でのんびり暮らす事だけが頭にありました。

 

でも都会で暮らせない人間は田舎でも暮らせないという事が後になって分かったような気がします。

 

とにかく転職先での生活は毎日が過酷でした。

 

仕事帰りに寄る喫茶店での時間だけが、ホットできる時間だったのですがそこで親身になって話を聞いてくれていたマスターにお金の融資を頼まれた事は少なからずショックでした。

 

これが目的で僕の話を親身になっているふりをして聞いていたのかと・・・

 

次に注文家具の工房へ就職

 

この経緯もここで書いてあります。

 

実際には注文家具の工房と楽器メーカーと2回就職しました。

 

注文家具の工房は半年で倒産しまして、楽器メーカーに移りました。

 

ここで親身になってくれる人に出会ったので、人間不信から抜け出す事が出来ました。

 

その前に見通しの良い農道で、車が大破する事故を起こしていますが、あれは無意識の自殺願望からくる事故だったと思っています。

 

喘息の悪化と鬱(うつ)状態でどん底の日々でした。

 

関西へ戻って再就職

親の介護の問題もあって関西へ戻る決心をしました。

 

この頃は、古巣での生活場面が蘇ってきて昔の同僚などの顔が浮かんだり、何事も無かったような会話を仕事仲間としている夢をよく見ました。

 

この時は転職した事を随分悔やみましたね。

 

何度も引越させて、せっかく仲良くなった友達とも別れなければならない気持ちを味あわせて申し訳ないという思いで一杯でした。

 

そんな気持ちから、背水の陣で自分を追い込む事にしました。

 

それは家を建てるということです。

 

もう引越はしない、させないという気持ちでどんな仕事でもやる決心を固めていました。

 

それから職探しの日々が始まりました。

 

 

田舎では定職につくのは難しい

 

家を建てるにも予算が無かったので、必然的に田舎の方になりました。

 

幸い小学校と中学校が徒歩圏内にある土地が見つかりましたのでそこを終の棲家とする事にしました。

 

その時には僕は43歳になっていましたから、正社員としての職は中々見つかりません。

 

その中で正社員として就職できたのは

 

ヤマト運輸

 

ビル管理会社

 

観光ホテル

 

資材倉庫の警備員

 

新聞配達員

 

 

それ以外に、パソコン指導、HP作成、訪問販売、皿洗い、スーパの品出し、高校のボイラー管理、施設掃除、プールの監視員プール掃除、布団敷き等など

 

がむしゃらにやってきて何とか子供二人を育てあげ、社会人として世に送り出す事が出来ました。

 

正直な話、僕の中で40歳半ばから10年間程の記憶が無いんです。

 

このサイトを作るキッカケになったのが、記憶を取り戻す為だったんです。

 

忙しすぎて必死で振り返って見ると一瞬で10年以上の月日が流れ去ったような思いがあります。

 

今現在はネットで物販の仕事をしていますが、あまり売上はありません。

 

しかし夫婦二人だけなもんで気楽と言えば気楽な現在です。

 

失敗から学ぶ事はがあるはず

このサイトは自分の記憶を書き留める事と、僕の失敗を転職なりアルバイト探しなりの参考にして頂けたらありがたいと思っています。

 

多分、ここを見ているって事は、人生に迷いが出ているから立ち寄ってくれているんだと思います。

 

八方塞がりで、これから進む方向も見えずに、立ちすくんでいる時は、

 

「今が最悪だと思って下さい。」

 

でも、今以上に最悪な事態になっていくかも知れませんが、その都度「今が最悪」だと思う事です。

 

その時は視野が狭くなっていて、なんにも見えません。しかし見えていない事が見えてくる瞬間が必ずやってきます。

 

道は一つでは無く、幾方向にも広がっています。

 

ただ見えていないだけなのです。

 

 

僕の失敗が、少しでも転職や仕事選びのヒントになれば幸せです。

 

ネットの発達で転職も楽になりました。

転職エージェントには仕事を変わろう、転職、仕事探しする上で必ず入会しておくべきだと考えます。

 

 

転職エージェントはそれぞれ専門分野と云いますか、この職種を探すならココというふうな住み分けができています。

 

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